エベレストに賭け、相場に生きた男 中島寛の物語(第1回/全20回) ~シグマベイスキャピタル清水正俊~
初めての方からプロの手法を学びたい方まで シグマ個人投資家スクール
株式通学制講座 株式投資入門コース(全4回) | シグマ個人投資家スクール
トレード心理と戦略入門コース(全2回) | シグマ個人投資家スクール
私が長銀でFX(外国為替)やデリバティブのチーフをしていた期間、中島寛という山男が上司だった。一橋大学山岳部時代には、彼の3年先輩である中村保(後年、主要国の山岳会名誉会員)たちとアンデス登山隊(吉沢一郎隊長 後年、日本山岳会副会長)に参加するなど様々な山を踏破した。各大学の山岳部が全盛の時代で、それぞれのカラーで歴史と伝統を築き伝えていた。
中村保「ヒマラヤの東」 一橋山岳会HP特設コーナーより
http://huhac.com/nakamuratop.html
中島は1961年、大学卒業後日立金属(株)に就職したが1969年に退社した。日本山岳会(JAC)による1969年エベレスト登頂偵察隊(宮下秀樹隊長 慶應義塾大学OB 後年、日本山岳会会長)、これにつづく1970年エベレスト登頂隊(松方三郎隊長)に隊員として参加するためであった。当時、日本人初のエベレスト登頂を目指す国民的イベントであった。
中島はエベレストへの情熱を燃焼させた後長銀に就職したが、これは学生時代からの親友であった平尾光司(後年、副頭取)の誘いによるものと聞く。その後28年間にわたる銀行員生活に入った。50歳台半ばの香港支店長時代でも、起伏の激しい香港の街中1時間(約10km)の出勤前マラソンを欠かさなかった。7000mlと聞く肺活量は依然健在と見えた中島であったが、1998年10月6日60歳で不帰の客となった。
針葉樹会報第88号中島寛氏追悼特集1999/4発行 一橋山岳会HPより
http://huhac.com/kaihou02.html
1999年には山仲間によって、彼の手記をまとめた追悼出版「一期一会の山、人、本」が発行された。1970年のエベレスト登頂隊では、大塚博美登攀隊長(明治大学OB 後年、日本山岳会会長)指揮の下、今は亡き小西政継(山学同志会)や植村直己(明治大学OB)などと共に、独特のオーラを放つ彼の姿が鮮烈である。
文中敬称略 つづく
清水 正俊