エベレストに賭け、相場に生きた男 中島寛の物語 中島逝く(第16回/全20回)~シグマベイスキャピタル清水正俊~
活躍を続けていた中島であったが、この間病魔が彼の体を蝕み始めていた。余命を告げられた病床の中島は淡々と、詳細に綴った日記、手記や登山記録の整理を始め、夫人とごく限られた人以外は面会を謝絶したと聞く。一人何を想っていたのか。
タッシリ・ナジェール目指し、サハラ砂漠をテントを担いで歩き始めていたのか? かつてエベレストに一緒に挑み、マッキンリー登頂後消息を絶った植村直己(1984年2月)やマナスル登頂後消息を絶った小西政継(1996年10月)に語りかけていたのか? はたまた、大学山岳部時代のアンデス登山隊長であった吉沢一郎に語りかけていたのか。中島は死の直前に、95歳で大往生を遂げた大先輩吉沢への弔辞を病床から寄せている。
針葉樹会報第86号吉沢一郎追悼号1998/9発行 一橋山岳会HPより
針葉樹会報第88号中島寛追悼特集1999/4発行 一橋山岳会HPより
http://huhac.com/kaihou02.html
間もなく、吉沢を追うかのように、また、かつてザイルを繋いだ小西や植村を追うかのように静かに去って行き、ヒマラヤの地に散骨された。60歳を目前にした死であった。死の二日前、夫人にしたためた「自分の気持ち」と題する詩 があると聞く。
「丁度よい。おまえは おまえで丁度よい…地獄へ行こうと極楽に行こうと行った所が丁度よい。自惚れる要もなく卑下する要もない。上もなければ下もない。死の日月さえも丁度よい」
文中敬称略
清水 正俊
シグマベイスキャピタル株式会社代表取締役社長
シグマインベストメントスクール学長兼シグマ個人投資家スクール学長
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