エベレストに賭け、相場に生きた男 中島寛の物語(第18回/全20回)
~中島 寛 没後20年を迎えて ~
「それにしても記憶に残るのは、アルジェのレストランで、食事中に言った一言である。中島は一言、”死ぬまでにサハラ砂漠をテントを担ぎながら縦断し、タッシリ・ナジェールに行きたい。サハラの奥には大きな山脈があり、先史石器時代の素晴らしい壁画がある”と呟いた。実は、今回の話が決まった直後、中島はロンドンで発行されたという古ぼけたタッシリ・ナジェール古代壁画の写真集を私に貸してくれた。以前、中島が、森本哲郎著「サハラ幻想行」について語っていたことを思い出した。」
上記は、第15回の記事を再度引用したものである。
タッシリ・ナジェールの古代壁画
スリランカ出身で現在カナダ在住、1992年度ブッカー賞作家/詩人であるマイケル・オンダーチェの代表作に「イギリス人の患者(English Patient)」という作品がある。土屋政雄氏の名訳が異彩を放つ。映画化もされ、第69回アカデミー賞9部門も獲得した私の愛読書である。
物語の始まりは第二次世界大戦時代の北アフリカ。南カイロ、アルジェリア、リビア、モロッコ、そしてサハラ砂漠。当時のイギリス人探検家たちが熱病に浮かされていた未知の砂漠への渇望。彼らによる砂に埋もれた村、民族、川、沼地や伝説のオアシス探しと消えた文明、そしてこれらと交錯する濃厚なロマンス。ロンドン地理学協会における探検結果の学術的報告。私にとっては、中島のサハラ砂漠への郷愁と妙に重なっている。今は、私自身が、いつかは中島の遺志を継いで、テントを担ぎながらは無理としても、タッシリ・ナジェール古代壁画に辿り着きたいと思っている。
もう一カ所、いつかは辿り着きたいと思っている場所がある。古代オリエント文明発祥の地である。昔、私は中島と共通の友人であるロンドンの古美術商から古代オリエント時代の楔形文字 (cuneiform) の粘土版を入手している。
<楔形文字粘土板 ウル第3王朝アマル・シン王(2041 B.C.) 南イラク ウマ出土>
加熱処理されている。古代オリエントでは、神殿に奉仕する巫女は本来良家の娘たちであった。修道院に住み込み、銀行業務に従事していた。しかし、ウル第3王朝の時代になると、実態は政府管理による神殿の僧侶たちへの奉仕(売春)が仕事となっており、この粘土板は彼女たちへの報酬記録であり、報酬は大麦の配給により行われた。この粘土板は、個々人の氏名、人数、年間配給額に関する希少な年度決算書である。
<楔形文字粘土板 ウル第3王朝スウ・シン王(2035 B.C.) 南イラク ウマ出土>
粘土板楔形文字。加熱処理されていない。土木工事の工夫たちへの日当は毎日記録された。報酬は大麦で支払われ、年末には1年分の合計が算出された。この粘土板は、希少な年度決算書である。
この二つは、会計帳簿の起源なので、シグマインベストメントスクールを象徴する財産となっている。
文中敬称略
清水 正俊